社会・事件

横須賀小6絞殺事件

 不愉快この上ない。またしても子殺しである。これから立て続けにもっと増えるはずだ。この報道によって、その感覚が自分だけではないことに気がつくからである。

「お母さん、ごめんなさい」

 謝るべきは絞め殺した息子にであり、母親にではない。親の顔色ばかりを伺いながら育ったのだろう。

 何事も抱え込むタイプといわれる人は、総じて爆発すると手がつけられない。これはインナーチャイルドが自分の知らないところで怒りをため込むことから始まる。なんとなく不安で動揺しやすい状況(=怒りの蓄積)がしばらく続き、これがなにかのトリガによって爆発する。爆発後、なぜ爆発したのか全くわからないのも特徴である。どのインナーチャイルドの怒りかが不明だからだ。多くのトラウマ(といっていいのか専門家ではないのでわからないが)を抱えている場合、不安定になる要素が多いと思った方がいい。先の福岡小1殺害の母親もこのタイプだと考える。

 自分の息子や娘の不出来を責め続けて育てた、と反省している親は気をつけた方がいい。もしもその娘に小さな子供がいる場合、もっと気をつけた方がいい。自分の子供が、その子供(孫)を絞め殺したり、殴り殺したり、車中で蒸し焼きにする前に、親の責任を持って、自分の子供の点検をするべきだ。情緒不安定で爆発しやすい子供を持つ親は、夫婦、子供と一緒にアダルトチルドレンに詳しい精神科へ行ってほしい。自分の子供への仕打ちは覚えていないと思うが、子供が犯罪者になる前に予防する努力を、親の責任としてしてほしい。

 世の中のバカな親に忠告するが、自らの勝手な都合で子供の命を絶つ前に、そうしなければならないと思っているインナーチャイルドを探しなさい。そしてこれができない場合、可及的速やかに首を吊ってほしい。他人に迷惑をかける前に。

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小さく死んで?

 日本では、年間の自殺者が三万人を超える。原因の半分は、健康問題だそうだ。男女の比率は、2:1程度。なぜか男性の方が自殺しやすい。女性の衝動的な自殺は少なく自傷行為による自殺が主で、男性は衝動的な自殺と自傷行為による自殺が半々のためだと想像している。

 森山直太朗の「生きていることが辛いなら」を聴いてみた。冒頭の問題の歌詞は、健常人の感覚で書かれたものであり、確かに一部の人たちには生きるための賛歌になっていない。でも、良い歌である。さだまさしの「防人の歌」よりも、あきらかに元気が出る歌である。

 この歌が問題だとする人達の懸念は「死んでみろ→やけになって死んでやる」という構図だろう。自殺には原因があり、実行するトリガもある。発作的な自殺は別にして、自殺願望がある人は、死に対する恐怖心が常人に比べて薄い。たとえば集団練炭自殺である。類は友を呼ぶ、自尊心の低い(原因)自殺願望者が集まり、一緒に死んで欲しいという仲間ができれば(トリガ)、はいはい一緒に自殺しましょう、となる。もともと自殺者の思考は自己中心的であり、他者が存在しない。相手が「一緒に死ぬのにふさわしい」と考えているわけではないのである。この歌がトリガになるかといえば、まあNOの部類だろう。

 歌詞の一節で、これだけ騒がれると、森山直太朗も困惑しているに違いない。まあ、過激な歌詞が想定通り宣伝効果になって、しめしめとほくそえんでいるかもしれないが。

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こんな歌で自殺者が増えるのでは、とつまらない心配をする人には、聖飢魔IIの「Jack The Ripper」をオススメしよう。一連の刺殺事件を思い出して卒倒すること請け合いである。

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教頭先生の暴言 ~金八先生の功罪

 美里町立中埣小の教頭先生が、小学校六年生を相手に暴言を吐いたそうだ。教育委員会が口頭注意し、PTA集会で謝罪したとニュースになっている。

はっきりいって、くだらない。だからなんだという感じである。こんなくだらない記事に紙面を使うA新聞社の週刊誌化の方がよっぽど深刻だ。

 現代の学校の先生とは、新橋の酔っぱらいサラリーマンよりも、もっとタチが悪いのである。そもそも、学校の先生が品行方正で子供達の手本となる存在である、というのは作られた虚像でしかない。たった一言の失言で何十億円もの取引がパーになるような世界で訓練されているサラリーマンとは訳が違う。むしろ「所詮、子供相手だ」という意識があるためにうっかり発言が多くてもおかしくはない。

 教師は大学卒業と同時に、学校という、世間から隔離された治外法権社会に入る。ここでまず、競争社会から脱落する。毎日、子供達の中で生活し「先生」と呼ばれ、ここから勘違いが始まる。スキルと才能で自分の立場を切り開かねばならない「社会の競争原理」とは無縁の世界に生きる。大分県の不正に代表される口利き問題のように、お金で立場が買える場合もある。そして彼らは教室で絶対者として君臨する。こんな状況で30年以上を過ごすのだから、世間一般の常識に欠けないはずがない。そして極めつけはその高給である。一般教員(地方公務員)の全国平均給与は月44万円を超える。これは年収にして700万円を超えるということだ。一方のサラリーマンの全国平均年収は500万円を下回るのに、だ。子供とPTAを相手にするストレスが尋常ではないとの話もあるが、うるさい顧客を黙らせ自身のノルマを達成しなくてはならないサラリーマンだって変わらない。学生の頃に添乗員のバイトをしたことがある同僚の「学校の先生と名のつく職業の人間が一番たちが悪かった」との証言もある。

 もちろん、常識から逸脱した教師は一握りであり、普通の生活をしている先生の方が大多数だろう。先生のうっかり言った言葉を親に告げ口するような子供と、それをマスコミにリークするような低俗な親の方がよっぽど悪質だ。

 よく考えて欲しい。この手の対応に過敏に反応する親達も、自分の子供には同じようなことを言っていないか?結局、先生達だってあなた同様、普通のどこにでもいる人間なのである。

 残念だが、しょせんドラマでしかないのである。金八先生はどこにもいない。

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埼玉(川口市)父親刺殺事件(2)

少し情報が出たので分析してみた。もちろん推測ばかりで分析の域に達していない。

「すべてがいやになった。特に人間関係に疲れ、家族(全員)を殺して自分も死のうと思った。以前から考えていた」との供述から。

 無理心中とは、家長(名実は伴わない)が、家族に破綻を来すと考える対象(自分を含む)を殺害し、殺害による不利益を残された家族に負わせないよう計らう行為である。一般的に家族の長とは父親か母親であり子供はそれに従属するが、現在わかっている長女の供述から、この家庭では実行犯の長女が家長的存在であることになる。

これは明らかに変だ。

 人間関係とは、たとえば学校内のいじめの場合、自殺で完結する。いじめが原因で数千万の借金でもあれば別だが、家族まで巻き込んで凶行に及ぶということはありえない。通常、自殺は偶発的理由以外で他人を巻き込まない。「彼女が何らかの理由で自殺しようとしたが、自殺後何かが発覚すると残された家族に何らかの不利益が生じるため、全員を殺害して最後に自殺する」ためには、彼女が家長として感じる責任感が必要である。そんなものがあるのだろうか?

「全部を無くしたかった。家族に特別な恨みはなかった。お父さんを殺してごめんなさい」と言っているにもかかわらず、「残った母親と弟につらい思いをさせるので、本当のことを言えなかった」という供述(これが正しいのであれば)から、無くしたかった対象は父親に限定されるように感じる。

 彼女はなぜ「全部を無くしたかった」のか。無くさねばならない理由(=動機)がこの事件の根幹だろうが、警察の人権的配慮から、もしかするとこれ以上の情報は出ないかもしれない。

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カンニングで自殺 ~8000万円訴訟

 いや、久しぶりに不愉快になった。未成年者の自殺である。井田将紀君(以下、彼という)が自殺したのは、教諭がカンニングを疑って威圧したためと母親が訴訟を起こしている。

 母親の記者会見をちらと見た。あの母親じゃあ自殺する息子が育つだろう。

 カンニング行為はあったはずだ。しかし母親は絶対にないと思っている。なぜなら彼が本当のことをいえるわけがないからだ。なぜカンニングをしなければならなかったのか、あの母親は考えたことがあるのだろうか?試験の点数に一喜一憂し、100点以外は許さない育て方をしていなかったか?勉強勉強といって彼を追い込んでいなかったか?彼は母親の条件付き愛情のために、カンニングという手段を選ぶしかなかったのである。

 自殺するのは自分を抹消するためである。自尊心と自己肯定の欠如から実行される自傷行為である。今回は、母親に対する当てつけもあったのではないか。

 訴訟を起こし教師を攻撃する前に、自身の人間性を見直すべきだ。将紀君のお母さん、あなたは息子を殺したのが誰か、もっとよく考えた方がいい。あなたが誰にほめてもらいたいがためにがんばっているのかは知らないが、あなたはもうがんばる必要はないのである。あなたのために短い生涯をがんばった彼の名誉となによりもあなた自身のために、醜悪な戦いはやめにして欲しい。

彼はきっと優しい子であったに違いない。母親はともかく、他人を刺し殺す前に自身を抹消してしまったのだから。

 そういえば、記者会見で自殺についての質問は出たのだろうか。どのような育て方をしたのか聞いた記者はいるのだろうか。記者として報道に関わるならば、そのくらいは記事にして欲しいものだ。

あまりにも不愉快でちと個人攻撃モード。まあ、あの母親がこのブログを読むことはないとおもうが:-P

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平塚駅刺傷事件

無差別刺傷で女性の犯行という珍しい事件である。

死人が出なかったことから性差による遂行能力の差を感じるが、同時に供述から男性が起こす事件とは違った情報を得ることができる。護身用にナイフを持ち歩いていたのは、他の事件と共通する部分である。

 桜井容疑者(以下、彼女という)も、親との共依存、機能不全家族から生み出されるACの典型である。34歳にして6人の家族と生活しているのは共依存の証である。共依存とは、支配し支配されて安定する関係のことである。妹夫婦が父親の面倒をみており、父親との共依存によって彼女は同居を余儀なくされている。彼女には別居する意志もなく(考えられない)、独りで生きていくことは出来ない。もちろん家には虐待の対象として以外、彼女の居場所はない。そういえば、情報がなく推測になるが、八王子殺傷も父親の虐待と母親の過干渉ではないかと考える。

 父親からは疎まれ、モノを投げつけられ、罵られる。「父親が昔から私に物を投げつけたりして、それに耐えてきた」との供述から虐待が伺える。先の秋葉原事件の加藤容疑者は、親の先回り(過干渉)で自尊心が欠如したが、彼女は親の虐待によって自尊心が育たなかった。

 自殺(リストカット)は自己否定、自らを抹消しようとする行為である。自尊心と自己肯定の欠如によって引き起こされ、時には依存の対象となる(繰り返す)。「引き起こされる」としたのは、自分の意志で実行するのではなく、自分ではない自分が実行するためである。よく自殺する勇気があるくらいなら云々と言われるが(特に教師に多い)、もしそんなものが存在するなら自殺という行為自体が成立しない。そもそも、自殺願望者に自殺に対する恐怖は存在しない。ヨノナカの先生達に、今後この言葉を生徒達に使わない方がいいことを忠告しておく。

 興味深いことに、人を道連れにしたかったと供述しているという。そういえば、秋葉原事件も道連れ殺人である。あまりにも悲しい境遇の彼女の心の深い闇にも、最後は人への強烈なあこがれがある。八王子事件と同様、愛情への渇望(相手への依存)が、「道連れ」の凶行に及ばせたのではないか。何度も言うが、彼女の責任は半分である。後の半分は、彼女の父親とその家族にある。法制的に不可能だが、彼女の取り調べに時間をかけるヒマがあるなら、彼女の父親とその家族の取り調べを行って欲しいものだ。

 女性の斬りつけ事件は先日大阪であったばかりだが、どこにでも発生する事件であることがはっきりした。夏休みで子供連れの機会が増える時期である。気をつけるようにしたい。

※相手が誰でもよい(不特定多数)のは、人と対峙する習慣がなく、他人に対する意識が希薄なため。

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埼玉(川口市)父親刺殺事件

あまりにも情報が少なすぎて分析が出来ない。

100%推測だが、性的虐待しか思い浮かばない。
「目覚めた瞬間に父親を刺そうと思い付いた」ということから、前の日になにかあったのかもしれない。父親を抹消しなければならない理由は、理由なき殺人(「母親の代理」実行)か、自らに不利な状況(虐待を受けた事実)を父親に口止めされたから抹消するかのどちらかであるからだ。思春期の過敏な15歳本人から聞き出すことはほぼ出来ないだろうから、母親に、日頃から父娘間にそういう雰囲気がなかったかを聞くべきだろう。

犯罪の低年齢化が進む今日、平和ボケした「子供が大人になっただけ」の親や、明らかにモラルに欠ける親に育てられる子供の不幸は増え続ける一方だ。

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千葉県柏市一家殺害事件

「おじいちゃん、おばあちゃんはいつもニコニコしていてやさしい」

 これは世界中の様々な誰かによって作られた嘘のイメージである。高齢者=もののわかった大人である、というのは全くの嘘っぱちだ。

さて、今回は、キレて惨殺した木内芳雄容疑者(以下、彼という)である。

 現在70~80歳といえば、昭和初期、戦前に生まれ育った人たちである。明日もわからない時代である。みんなが毎日「自分が生きるためだけ」に必死だったはずである。その家の長男は大事にされ、それ以下はどうでも良かった時代である。おそらく、親に愛情のかけらももらえなかった乳飲み子が星の数ほどいたに違いない。泣いても泣いても誰も抱いてくれず、相手にされず、その子の心の中に絶望が生まれたに違いない。物心ついた頃には戦争だ。疎開で田舎の親戚の家に預けられ、邪魔者扱いにされたに違いない。戦後の青春もなにも、生きることに必死だったに違いない。この時代の家族環境は、存在を無視するか否定するしかできない現代の親による機能不全家族と同じような状況が多かったはずだ。

 秋葉原事件の加藤容疑者と同様、彼にもまた、自尊心がない。自我がむき出しになっているため、否定されると恐怖を感じる。彼の恐怖はすぐに怒りに変換される。なぜなら、怒って相手を威嚇することで、自分の自我を守ろうとするからである。彼は怒ることでしか自分を守れないのである。孫に対して暴力をふるっていたともきく。怒りと暴力は常に(自分より)弱者に対して向けられるからである。ただし、家の外部では借りてきた猫のようにおとなしかったのではないか。

 加藤容疑者は、携帯へ依存し、書き込むことで自身の暴発を防いでいたが、結局、書き込むことで秋葉原事件に自分を追い込んでしまった。彼もおそらく、殺人実行の前に、妻か息子たちとの間に諍いがあったに違いない。邪魔者扱いされ、追い込まれ、ついに犯行に及んだのだろう。「全員を殺せば楽になると思った」と供述しているという。自分を攻撃する人たちがいなくなるのだから当然である。妻には馬鹿にされ、息子たちには疎まれ、彼の日々はおそらく地獄であったに違いない。被害者には申し訳ないが、被害者(主に妻)が自らが招いた結果である。

 しかし高齢者の犯罪は、往々にして情報が少なく、判断材料がない。察するに、大人が起こした事件と「勝手に解釈」してマスコミが取り上げないからである。加藤容疑者と彼の差は、若年か高齢であるかだけの差なのに。

 遅い時間のニューズ番組で、コメンテータが、孤独であるが故「かもしれない」とコメントしていた。番組で分析をするなら、有識者に依頼してほしいものだ。孤独だったことに間違いはないが、秋葉原事件と同様、社会問題と称して「老人の孤独」が取り上げられるのか。だとすると、ウチのマンションの四階に住むおじいちゃんがかわいそうである。

 そうそう、今日のニュース番組の中で「いつも叱られますけれど、、、」と前置きして、キャスターが少し控えめにコメントした。マスコミというのは、事実を正確に伝えるべきであって、推測や感想はうさんくさい評論家や専門の先生達に任せ、批判を浴びたら彼らのせいにすればよい。きょう日のマスコミ批判の中でいいにくいことがたくさんあるのは理解できるし、毎日その局面に対峙している彼らの精神力は尊敬に値する。だからなにも自分でかぶる必要はないのに、と思うのだが。

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秋葉原無差別殺傷事件(3)

 ここ数日、「秋葉原無差別殺傷事件」でいろいろなブログを検索しているが、加藤容疑者(以下、彼という)への「自分勝手」「甘えている」というキーワードが目立つ。彼を擁護する訳ではないが「彼はそうすることしかできない」という、彼の両親によって作り上げられた、あまりにも哀れな境遇は理解されないようである。要するに「自分勝手なことをいいやがって」という彼への怒りはある意味正しいが、ある意味、的外れなのである。

 彼の思考は自己中心的ではあるが、頭の中には「世界は自分のために回っている」という感覚はない。彼にはまず「自分だけが良ければいい」という意識がないのである。自尊心の欠如から、もともと彼には主体性がないのだから当然といえる。

「自分だけ」には、明らかに自分と比較する他者がいる。しかしながら、彼の視野の中に、自分以外の他者は存在しない。「自分だけ」には、明らかに自分がこうしたい!という意識がある。しかしながら、前述の理由により彼には主体性がないのである。

 通常、比較する他者がおらず、かつ自尊心が欠落している場合、すべての元凶が自分自身にあるように感じる。自己を嫌悪し、その絶望感から自己を抹消しようとする行為が自傷や自殺である。よく山の中で狭い車中で男女が寄り集まって自殺する輩がいるが、彼らは「誰もいない真っ暗な山の中」で「狭い車内でくっつきあって」などという、一生のうちに何度あるかわからないうらやましい状況なのに、パンツを脱いで気持ちイイことではなく、練炭を焚いて自殺してしまうのである。やれやれマッタク、もっと違うことをやれ!と思うが、これは彼らが他人などまったく見ていないという証拠である。

「甘えている」とは、自分で何とかせず他者にやってもらうことだとすると、彼にはやってもらう他者が存在しない。「甘えている」とは、努力をせず他者に依存することだとすると、彼には依存する他者が存在しない。

 努力とは、自己の鍛錬である。自己を鍛錬するのは上昇志向の現れである。これは自己をより良くしようという気持ちである。しかしながら、彼の自己は、彼の中では排泄物以下の評価である。自尊心のなさから自己肯定感が欠如しているのである。これでは努力のしようがない。

 余談だが、自尊心の欠如は、依存症を伴うのが一般的である。たばこ、薬物、SEX、恋愛、収集等々。駅でたばこを吸っている人をよく観察してみればわかるが、たばこの、荒っぽい・男らしいという作られたイメージと違って、意外におとなしそうな人が多いことに気がつくはずだ。そして彼が選んだ依存は携帯サイトである。この手の事件が起るたびにこの手のメディアがやり玉に挙がるが、依存することに問題があって、その対象には何も問題はないのである。

もし、彼の掲示板への書き込みに「人殺ししたいなんて書き込むのはやめろよ」と誰かが書き込んでいたらどうなっていたのだろう。もしかするともう少し違う展開になっていたのだろうか。いまさらだが、残念に思う。

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秋葉原無差別殺傷事件(2)

テレビを見ていて憂鬱になった。

 加藤容疑者(以下、彼という)を擁護するつもりはないが、マスコミが怪しい(いけない)方向へ舵を切り始めた。格差社会の闇が彼の暴走を引き起こしたという、何の根拠もない理論である。派遣社員の苦悩が事の発端であるならば、世の中の派遣社員はほぼすべてが犯罪者予備軍となる。かの高名なニューズキャスターは、今日の午後、ブログで情報を収集したのだろう。ネタがないのであれば、派遣会社の営業でも呼んできて話をさせた方がよっぽどマシである。卑劣きわまりない、甘えの果て、これらのコメントは彼の意識のあり方からすれば該当しない。

 派遣先の会社で、彼は決して非人間的に扱われていたわけではない。非人間的に扱われたと彼が感じ、彼の掲示板の書き込みを真に受けてマスコミがそう喧伝しているだけなのである。彼は派遣社員をさげすんでいる。派遣であるが故に、辞めることにも躊躇がない。こんな感じではないかと推察する。

 自分は最低の人間である→自分は派遣社員である→派遣社員は最低の人間である

 しかし、彼の就業態度は至極まじめなはずである。彼の根本は、基本的にまじめで実直だからだ。何度も職を変えるのは、他人とのコミュニケーションに問題があるからである。また、彼は単純作業は優秀にこなすが、自ら考えて実施する応用力に乏しいため、仕事に限界がある。 作業自体も、達成感があるうちは楽しげに仕事しているが、そう長くは続かない。彼は対人関係で自分の演技にほころびが出始めると、そこから逃げ出そうとする。彼の自分自身に対する評価は、常人と比較して猛烈に低い。失敗したり、少しでも怒られたりしたら自責の念で大変なことになる。親に存在を否定されて育てられているからである。自らを排泄物以下であると「徹底的に自身をさげすんでいる」のである。自尊心がかけらもないのだから、これは当然の感覚である。自虐の念に容赦はないため、いったん落ち込むと際限がない。

 誰か止めてほしかったという彼の言葉は、彼の数少ない本心である。決して甘えからくるものではない。彼の一連の行動は、決められたレール(自ら決めた予定)の上を暴走する自分ではない自分によって実行されている。自分の意志では止められなかったのである。ブレーキのない車に縛り付けられ、崖に向かって進んでいる状況をイメージすれば良い。あなたは自分でどうにかできますか?誰かに止めて欲しいと願うはずである。

 これらの分析は彼の殺人を擁護するものではないが、この手の事件に共通する若者の心の闇についての警鐘である。10~20歳代の若者に自傷行為が増えていると聞く。これは若者の自尊心が乏しいことを表している。

 自尊心を育てるためには、親がその子供の存在を唯一無二であると認め、その存在がすばらしいものであると伝え続ける必要がある。子育て中であるならば、自らの子育てを見直すチャンスである。もう二度とこのような事件を起こさせてはならない。まだ間に合うはずである。

 余談だが、角川版「犬神家の一族」で、犯人の松子が「私にはこの道しかなかったの」と懺悔するシーンがある。 自分でない誰かが殺人をする、それは父の怨念であるというのだが、「怨念=自分ではない自分」ともとることができる。まあ、これは少し深読みしすぎか。

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