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2008年8月

小さく死んで?

 日本では、年間の自殺者が三万人を超える。原因の半分は、健康問題だそうだ。男女の比率は、2:1程度。なぜか男性の方が自殺しやすい。女性の衝動的な自殺は少なく自傷行為による自殺が主で、男性は衝動的な自殺と自傷行為による自殺が半々のためだと想像している。

 森山直太朗の「生きていることが辛いなら」を聴いてみた。冒頭の問題の歌詞は、健常人の感覚で書かれたものであり、確かに一部の人たちには生きるための賛歌になっていない。でも、良い歌である。さだまさしの「防人の歌」よりも、あきらかに元気が出る歌である。

 この歌が問題だとする人達の懸念は「死んでみろ→やけになって死んでやる」という構図だろう。自殺には原因があり、実行するトリガもある。発作的な自殺は別にして、自殺願望がある人は、死に対する恐怖心が常人に比べて薄い。たとえば集団練炭自殺である。類は友を呼ぶ、自尊心の低い(原因)自殺願望者が集まり、一緒に死んで欲しいという仲間ができれば(トリガ)、はいはい一緒に自殺しましょう、となる。もともと自殺者の思考は自己中心的であり、他者が存在しない。相手が「一緒に死ぬのにふさわしい」と考えているわけではないのである。この歌がトリガになるかといえば、まあNOの部類だろう。

 歌詞の一節で、これだけ騒がれると、森山直太朗も困惑しているに違いない。まあ、過激な歌詞が想定通り宣伝効果になって、しめしめとほくそえんでいるかもしれないが。

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こんな歌で自殺者が増えるのでは、とつまらない心配をする人には、聖飢魔IIの「Jack The Ripper」をオススメしよう。一連の刺殺事件を思い出して卒倒すること請け合いである。

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ビバ!!レプッブリカ・オオサカーヤ

 大阪でのアルファロメオの販売台数がどのくらいかよくわからないが、夏休みに大阪へ帰省したおり、市内を走るAlfa145や147をよく見かけた。Cセグでも群を抜くデザインで、さすがイタリア、センスの良さが光る。私も、金銭的に余裕があれば、147をセカンドカーで乗ってみたいところである。大阪人はとてもアルファロメオが好きだ。

大阪とはとても不思議なところである。そして、大阪人はイタリア人にとてもよく似ている。

大阪人は、大阪という地域に属しているという誇りを持つ。
大阪人は、帰属意識がとても強い。
大阪人は、とても派手好きである。
大阪人は、みんな友達である。
大阪人は、ピザならぬお好み焼き、パスタならぬうどん、タコマリネならぬたこ焼きをこよなく愛する。

大阪は近畿圏の関西地区にある広域自治体ではなく、一種の国家に近いような雰囲気がある。つまりイタリア共和国ならぬ、大阪共和国なのである。

 大阪人の祖先は、もしやイタリア人なのではないか、なんてのは冗談だとして、イタリア人と大阪人の共通点を示すジョークをひとつ。

神はまず天と地を作った。海と山を作った。そしてイタリアという国を作った。イタリアには世界一うつくしい風景と、世界一おいしい食べ物と、世界一過ごしやすい気候を作った。

天使がいった。
「神様、これではあまりにイタリアが恵まれすぎています!」

神はこたえた。
「心配するな。イタリア人を入れておいた」

Photo_2大阪でお好み焼きを食べるなら、天王寺アベ地下の最深部にある「あべとん」。ココのネギ焼きは最高。マヨネーズ、ポン酢で。
あべとん
大阪市天王寺区堀越町13 アベノ地下街1号B1
06-6779-5204

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なんとなく宗教戦争 ~IntelとAMD

 以前はPCパーツやデジタル家電を購入する場合、Webを検索してレビューを読みあさり、色々と悩むことが多かったが、最近は(財布と相談の上)少額なモノに限り、あまり調査に時間をかけず、使ってみたいモノを購入することにしている。

 つい先日、2年ほど前に納品したPCが壊れたとお客様から連絡があった。代替品を用意しなければと思い、がらくた箱をひっくり返してみたが、さすがに古いモノばかりで使い物にならない。しょうがなく現在使用中のAthlonx2とTA690Gを放出することにして、近所のソフマップへ出かけ、少々予算オーバーだったが、Phenom9350eとGA-MA78GPM-DS2Hを34000円ジャストで購入した。一度は使ってみたかった、ちまたで散々こき下ろされているAMDのネイティブクアッドである。CPU製品としては長寿となってしまったCore2QuadのQ6600と比較したレビューをみても、あまり優位点はないらしい。しかし、インプレッションやレビューだけでは何がどう違うのかわからない。よって、どれだけ違うのか見てみたい!という好奇心が購入の決め手になった。

 結論から先に言えば、速い。どのくらい速いかというと、「このくらい」とはいえないのだが、速い。よく、Core2はもっさりでAthlonはキビキビといわれるが、並べて比較している訳ではないので、正直いって全くわからない。最新のCPUであれば、どちらもすばらしく速いと思う。職場で使用しているのは、少々古いCore2DuoのE6700だが、なにをやらせても待たされることはないし、不満を感じたことはない。今年の4月くらいに納品したE8400とGA-EP35-DS3Rで作ったPCもびっくりするくらい速かったし、父親にプレゼントしたE2180とShuttleSG31G2も、Officeを使いながらWeb閲覧とメールくらいなら、特に遅いと感じたことはなかった。

 たとえば、ブラインドテストで最新のPCを操作した場合、使用感は全く変わらないはずだ。アプリケーションが起動する瞬間を見切ることができる人や、「このPCのCPUの製品名、動作周波数、コア数および消費電力を答えよ」というブラインドテストに100点がとれる人とは、正直、あまりお友達になりたくない。じゃあ、なぜそんな評価が出るのかといえば、しょせんプラセボ効果※1でしかない。もともと、レビューアの「キビキビ※2」には絶対的な指標も定義もないのである。要するにそんな気がするだけなのである。

 だが、なぜかこの「そんな気」をベンチマークの数値に置き換えてムキになって主張する人たちがいる。体感速度にはほとんど影響しないであろうベンチマークの数字を持ち出して「遅いですね」と小馬鹿にしたような発言をする。確かにベンチは性能の指標になるし、速い遅いの比較になるだろう。しかし彼らの発言には、あきらかに「A」は良いが「B」はダメだという意識が見える。自分は「A」を選んだので「B」を選んだおまえはダメダメだといわんばかりである。優位なのはCPUのベンチの数値であってその人ではないのに、不思議なものだ。オレはあいつよりも優れていると思いたい欲求は、劣等感の裏返しである。ベンチ結果を突きつけ、相手を打ち負かす(と思い込む)ことで自分を優位に保とうとするのは、少し悲しいが、自分の存在を確認するための手段かもしれない。

 もっとも、比較は悪いことではない。人は、比較によって相対的に評価することしかできないからだ。「食べられる」「食べられない」の二者を択一する能力がないと生物は死んでしまう。比較はそこから始まる。良いモノもあれば悪いモノもある。「コレが好きだからコレを買った」というのだって「ベンチがすごいから買った」と全く同等のちゃんとした理由なのである。

 悲しいかな、俺たちの神「A」が正しい!おまえ達の神「B」は異端だ!という、どこの世界にもあまり意味があるとは思えない宗教戦争が存在するのである。

 そうそう。新しくしたら、なぜかHDDが静かになった。原因を知っている方がいたら是非とも教えてください。

※1プラセボ効果(反応)とは、信じることで薬理作用のない偽薬によりもたらされる症状や改善効果のこと。自作PCだけでなくオーディオ業界、自動車業界、様々な分野に蔓延している。ノセボ効果は、プラセボ効果と効果は同義だが、望まない副作用のことをいう。
※2どの雑誌だったか忘れたが、ディスプレイをカメラで撮影し、操作中のメニューの開く速度を測ってキビキビ感を数値化しようとしたすばらしい記事があった。

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教頭先生の暴言 ~金八先生の功罪

 美里町立中埣小の教頭先生が、小学校六年生を相手に暴言を吐いたそうだ。教育委員会が口頭注意し、PTA集会で謝罪したとニュースになっている。

はっきりいって、くだらない。だからなんだという感じである。こんなくだらない記事に紙面を使うA新聞社の週刊誌化の方がよっぽど深刻だ。

 現代の学校の先生とは、新橋の酔っぱらいサラリーマンよりも、もっとタチが悪いのである。そもそも、学校の先生が品行方正で子供達の手本となる存在である、というのは作られた虚像でしかない。たった一言の失言で何十億円もの取引がパーになるような世界で訓練されているサラリーマンとは訳が違う。むしろ「所詮、子供相手だ」という意識があるためにうっかり発言が多くてもおかしくはない。

 教師は大学卒業と同時に、学校という、世間から隔離された治外法権社会に入る。ここでまず、競争社会から脱落する。毎日、子供達の中で生活し「先生」と呼ばれ、ここから勘違いが始まる。スキルと才能で自分の立場を切り開かねばならない「社会の競争原理」とは無縁の世界に生きる。大分県の不正に代表される口利き問題のように、お金で立場が買える場合もある。そして彼らは教室で絶対者として君臨する。こんな状況で30年以上を過ごすのだから、世間一般の常識に欠けないはずがない。そして極めつけはその高給である。一般教員(地方公務員)の全国平均給与は月44万円を超える。これは年収にして700万円を超えるということだ。一方のサラリーマンの全国平均年収は500万円を下回るのに、だ。子供とPTAを相手にするストレスが尋常ではないとの話もあるが、うるさい顧客を黙らせ自身のノルマを達成しなくてはならないサラリーマンだって変わらない。学生の頃に添乗員のバイトをしたことがある同僚の「学校の先生と名のつく職業の人間が一番たちが悪かった」との証言もある。

 もちろん、常識から逸脱した教師は一握りであり、普通の生活をしている先生の方が大多数だろう。先生のうっかり言った言葉を親に告げ口するような子供と、それをマスコミにリークするような低俗な親の方がよっぽど悪質だ。

 よく考えて欲しい。この手の対応に過敏に反応する親達も、自分の子供には同じようなことを言っていないか?結局、先生達だってあなた同様、普通のどこにでもいる人間なのである。

 残念だが、しょせんドラマでしかないのである。金八先生はどこにもいない。

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外車を買おう!!

 息子達と公園に遊びに行った帰り、近所にあるフォルクスワーゲンのディーラに立ち寄ってみた。試乗しませんかと店員がしきりに勧めるので、ゴルフトレンドラインに試乗してみた。7段DSG+1.4Lシングルターボという、メカ好きには堪えられない自動車雑誌でべた褒めのゴルフ最新最安車である。

 質素ではあるが意外に質感の良い内装は好感が持てる。ハンドルも樹脂製で、GTのようなスペシャリティ感はないが、質実剛健、無駄がない。しかし「エ~!?これが250万円?!(乗出300万円也)」と思うのも確かである。国産車と輸入車には、通常、約70万~100万円の差がある。もちろん、輸入車の方が高額である。トレンドラインは国内価格が248万円、車としての適正価格は200万円だろう。たとえば198万円なら、込み込みで250万円程度だから、値引き+下取りと相談で契約書に判子が押しやすい。

 しかしである。このダッシュボードの段差はなんだ?左前の角がどこにあるのかわからないぞ?ハンドル、合皮でいいから皮を巻いてよ。Aピラーで右が見えない!!ドアの閉まる音がすごいと聞いたが、三菱コルトとそう変わらない。不満を言えばきりがないが、同格のフィットやカローラなどと比較すると、愚痴のひとつもいいたくなる。日本ではドイツ車といえど、本国ドイツじゃ大衆車。そんなにべた褒めするほどの車ではない。走り出してさらに?を感じてしまう。7段DSGが6段よりもさらによくなっていると雑誌にあった。確かになめらかで変速ショックもなく、あっという間に7速で60kmに。でもこれって、フィットのCVTと変わらない。フィットは150万円、かたやゴルフは250万円。まだ色濃く残る外車信仰、輸入車という見栄だけでさすがに100万円は出せない。

 ちなみに、三菱ギャランフォルティスのラリーアートのSST(DSGと同じ2ペダルミッション)は、ダイレクト感がすばらしく(アクセルを戻すとエンブレが効く!)、ゴリッ、ゴリッ(音もショックもないが)と寸部の隙もない絶妙なタイミングでシフトアップし、あたかも自身がスーパードライバになったような気分にさせてくれる。3000回転でトルク最大のようで、実用域からモリモリと、アクセルペダルにパワーのフィードバック(そんな機能はないが)を感じる。乗っていて「楽しさ」を感じる車である。

 コンセプトは違えど、ゴルフトレンドラインに50万円を足せばこの車が手に入るということを考えると、やっぱりゴルフは買えない。来年、新型ゴルフ(Ⅵ)が発売されるのを待って、同時に放出されるであろう現行のトレンドラインを中古で買えば180万円で済むかも?!と密かにもくろんでいる。なんだかんだいって、やっぱり燃費と最新メカ(7段DSG)には弱いのである。

いやまてよ。それまでに三菱コルトラリーアートSST仕様が出たらどうしよう、なんてのはあり得ない心配かな。

余談だが、近所のコーンズに真っ白なマセラティ グランツーリスモが展示してある。この圧倒的な存在感。超高級クーペとはかくありき、まさに一見の価値ありだ。目の保養にいかがだろうか。

U3eqp3000008b9ul_2 Maserati GranTurismo デザインはおなじみピニンファリーナ。405HPを発生する4.2LV8エンジンをフロントミッドに搭載し、これにより前後重量配分を49:51とする。お値段14,910,000円(税込)ナリ。

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埼玉(川口市)父親刺殺事件(2)

少し情報が出たので分析してみた。もちろん推測ばかりで分析の域に達していない。

「すべてがいやになった。特に人間関係に疲れ、家族(全員)を殺して自分も死のうと思った。以前から考えていた」との供述から。

 無理心中とは、家長(名実は伴わない)が、家族に破綻を来すと考える対象(自分を含む)を殺害し、殺害による不利益を残された家族に負わせないよう計らう行為である。一般的に家族の長とは父親か母親であり子供はそれに従属するが、現在わかっている長女の供述から、この家庭では実行犯の長女が家長的存在であることになる。

これは明らかに変だ。

 人間関係とは、たとえば学校内のいじめの場合、自殺で完結する。いじめが原因で数千万の借金でもあれば別だが、家族まで巻き込んで凶行に及ぶということはありえない。通常、自殺は偶発的理由以外で他人を巻き込まない。「彼女が何らかの理由で自殺しようとしたが、自殺後何かが発覚すると残された家族に何らかの不利益が生じるため、全員を殺害して最後に自殺する」ためには、彼女が家長として感じる責任感が必要である。そんなものがあるのだろうか?

「全部を無くしたかった。家族に特別な恨みはなかった。お父さんを殺してごめんなさい」と言っているにもかかわらず、「残った母親と弟につらい思いをさせるので、本当のことを言えなかった」という供述(これが正しいのであれば)から、無くしたかった対象は父親に限定されるように感じる。

 彼女はなぜ「全部を無くしたかった」のか。無くさねばならない理由(=動機)がこの事件の根幹だろうが、警察の人権的配慮から、もしかするとこれ以上の情報は出ないかもしれない。

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