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秋葉原無差別殺傷事件(2)

テレビを見ていて憂鬱になった。

 加藤容疑者(以下、彼という)を擁護するつもりはないが、マスコミが怪しい(いけない)方向へ舵を切り始めた。格差社会の闇が彼の暴走を引き起こしたという、何の根拠もない理論である。派遣社員の苦悩が事の発端であるならば、世の中の派遣社員はほぼすべてが犯罪者予備軍となる。かの高名なニューズキャスターは、今日の午後、ブログで情報を収集したのだろう。ネタがないのであれば、派遣会社の営業でも呼んできて話をさせた方がよっぽどマシである。卑劣きわまりない、甘えの果て、これらのコメントは彼の意識のあり方からすれば該当しない。

 派遣先の会社で、彼は決して非人間的に扱われていたわけではない。非人間的に扱われたと彼が感じ、彼の掲示板の書き込みを真に受けてマスコミがそう喧伝しているだけなのである。彼は派遣社員をさげすんでいる。派遣であるが故に、辞めることにも躊躇がない。こんな感じではないかと推察する。

 自分は最低の人間である→自分は派遣社員である→派遣社員は最低の人間である

 しかし、彼の就業態度は至極まじめなはずである。彼の根本は、基本的にまじめで実直だからだ。何度も職を変えるのは、他人とのコミュニケーションに問題があるからである。また、彼は単純作業は優秀にこなすが、自ら考えて実施する応用力に乏しいため、仕事に限界がある。 作業自体も、達成感があるうちは楽しげに仕事しているが、そう長くは続かない。彼は対人関係で自分の演技にほころびが出始めると、そこから逃げ出そうとする。彼の自分自身に対する評価は、常人と比較して猛烈に低い。失敗したり、少しでも怒られたりしたら自責の念で大変なことになる。親に存在を否定されて育てられているからである。自らを排泄物以下であると「徹底的に自身をさげすんでいる」のである。自尊心がかけらもないのだから、これは当然の感覚である。自虐の念に容赦はないため、いったん落ち込むと際限がない。

 誰か止めてほしかったという彼の言葉は、彼の数少ない本心である。決して甘えからくるものではない。彼の一連の行動は、決められたレール(自ら決めた予定)の上を暴走する自分ではない自分によって実行されている。自分の意志では止められなかったのである。ブレーキのない車に縛り付けられ、崖に向かって進んでいる状況をイメージすれば良い。あなたは自分でどうにかできますか?誰かに止めて欲しいと願うはずである。

 これらの分析は彼の殺人を擁護するものではないが、この手の事件に共通する若者の心の闇についての警鐘である。10~20歳代の若者に自傷行為が増えていると聞く。これは若者の自尊心が乏しいことを表している。

 自尊心を育てるためには、親がその子供の存在を唯一無二であると認め、その存在がすばらしいものであると伝え続ける必要がある。子育て中であるならば、自らの子育てを見直すチャンスである。もう二度とこのような事件を起こさせてはならない。まだ間に合うはずである。

 余談だが、角川版「犬神家の一族」で、犯人の松子が「私にはこの道しかなかったの」と懺悔するシーンがある。 自分でない誰かが殺人をする、それは父の怨念であるというのだが、「怨念=自分ではない自分」ともとることができる。まあ、これは少し深読みしすぎか。

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