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2008年6月

千葉県柏市一家殺害事件

「おじいちゃん、おばあちゃんはいつもニコニコしていてやさしい」

 これは世界中の様々な誰かによって作られた嘘のイメージである。高齢者=もののわかった大人である、というのは全くの嘘っぱちだ。

さて、今回は、キレて惨殺した木内芳雄容疑者(以下、彼という)である。

 現在70~80歳といえば、昭和初期、戦前に生まれ育った人たちである。明日もわからない時代である。みんなが毎日「自分が生きるためだけ」に必死だったはずである。その家の長男は大事にされ、それ以下はどうでも良かった時代である。おそらく、親に愛情のかけらももらえなかった乳飲み子が星の数ほどいたに違いない。泣いても泣いても誰も抱いてくれず、相手にされず、その子の心の中に絶望が生まれたに違いない。物心ついた頃には戦争だ。疎開で田舎の親戚の家に預けられ、邪魔者扱いにされたに違いない。戦後の青春もなにも、生きることに必死だったに違いない。この時代の家族環境は、存在を無視するか否定するしかできない現代の親による機能不全家族と同じような状況が多かったはずだ。

 秋葉原事件の加藤容疑者と同様、彼にもまた、自尊心がない。自我がむき出しになっているため、否定されると恐怖を感じる。彼の恐怖はすぐに怒りに変換される。なぜなら、怒って相手を威嚇することで、自分の自我を守ろうとするからである。彼は怒ることでしか自分を守れないのである。孫に対して暴力をふるっていたともきく。怒りと暴力は常に(自分より)弱者に対して向けられるからである。ただし、家の外部では借りてきた猫のようにおとなしかったのではないか。

 加藤容疑者は、携帯へ依存し、書き込むことで自身の暴発を防いでいたが、結局、書き込むことで秋葉原事件に自分を追い込んでしまった。彼もおそらく、殺人実行の前に、妻か息子たちとの間に諍いがあったに違いない。邪魔者扱いされ、追い込まれ、ついに犯行に及んだのだろう。「全員を殺せば楽になると思った」と供述しているという。自分を攻撃する人たちがいなくなるのだから当然である。妻には馬鹿にされ、息子たちには疎まれ、彼の日々はおそらく地獄であったに違いない。被害者には申し訳ないが、被害者(主に妻)が自らが招いた結果である。

 しかし高齢者の犯罪は、往々にして情報が少なく、判断材料がない。察するに、大人が起こした事件と「勝手に解釈」してマスコミが取り上げないからである。加藤容疑者と彼の差は、若年か高齢であるかだけの差なのに。

 遅い時間のニューズ番組で、コメンテータが、孤独であるが故「かもしれない」とコメントしていた。番組で分析をするなら、有識者に依頼してほしいものだ。孤独だったことに間違いはないが、秋葉原事件と同様、社会問題と称して「老人の孤独」が取り上げられるのか。だとすると、ウチのマンションの四階に住むおじいちゃんがかわいそうである。

 そうそう、今日のニュース番組の中で「いつも叱られますけれど、、、」と前置きして、キャスターが少し控えめにコメントした。マスコミというのは、事実を正確に伝えるべきであって、推測や感想はうさんくさい評論家や専門の先生達に任せ、批判を浴びたら彼らのせいにすればよい。きょう日のマスコミ批判の中でいいにくいことがたくさんあるのは理解できるし、毎日その局面に対峙している彼らの精神力は尊敬に値する。だからなにも自分でかぶる必要はないのに、と思うのだが。

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世界のミフネ

「桶屋!棺桶ふたつ!!いや、たぶん三つだ」ズンズンチャ、ズンズンチャ、、、

 用心棒・三船敏郎が二人の凶状持ちを切り捨て、ジェリー藤尾の左腕を切り落とした後、居酒屋の前でおびえている棺桶屋に叫ぶシーンは、本作の数少ない殺陣を引き立てる最高の演出である。このシーンでもう、観て良かった!!と満足してしまう。現代の俳優でこんな格好イイ役ができるのは、佐藤浩市か木村拓哉くらいだろう。そうそう、用心棒の本間先生は高橋克実、卯之助は是非、阿部寛かオダギリジョーに演じてもらいたい。用心棒のリメイクは無理かも知れない(やらない方がいいと思う)が、実現したあかつきには、是非とも採用候補に加えてもらえないものだろうか。

 本作の続編とされる椿三十郎もすばらしい。2007年にリメイクされたので、そちらをご存じの方も多いだろう。三船敏郎の椿三十郎は最高である。しかし、新作の織田裕二の「椿三十郎のモノマネ」も立派なものである。ごくまれではあるが、織田裕二には三船が降臨しているのではないかというくらいびっくりする台詞回しがある。しかし、台本が前作とまったく同じであるため、台詞の言い回しにどうしても古さを感じてしまう。他の若い役者がそれなりに今時の台詞回しをするので、織田のモノマネが浮いてしまうのである。まあそう言っても、台詞でいえば前作では全く逆で、若大将と青大将が浮いていたっけ。

 演技については、冒頭、若侍を助けた後の金の無心(演技にはマッタク非がない)と、もうすぐ四十郎ですがと紹介するシーンでは、どうも青島刑事を思い出してしまう。抜群の演技力なのだが、どうしても織田裕二の人の良さが見え隠れするのである。また、半兵衛に「出直してくる」と背を向けるシーンでは、どうしても後ろの豊川悦司が「ちらっチラチラ」とやりそうな気がして笑ってしまう。

 オリジナルを大事にすることも重要だとは思うが、現代の映像技術やアイディアで、オリジナルを出し抜く作品を作ってほしいものだ。例えて三船敏郎が日本刀だとすれば、織田裕二は堺一文字の万能包丁(これはこれで大変高価)である。同じ土俵では、逆立ちしても三船敏郎や仲代達矢を超えることはできない。ただし、こうは書いてもオールキャスト。現代の最高クラスの俳優陣がそろっている。「椿三十郎」を初めて観る方は、まずはじめにこちらの新作を観ても決して損はしない。

 余談だが、レッド・サン(1971仏)という映画がある。アメリカ西部で、盗まれた大統領へ献上する為の宝刀を強盗団から奪い返す話である。なんと、三船敏郎とチャールズ・ブロンソンとアラン・ドロンが競演するというトンデモ映画である。くそまじめで融通が利かないが、めっぽう腕が立つサムライ黒田重兵衛と仲間に裏切られた強盗リンクの珍道中。「007は二度死ぬ」で、丹波哲郎が007(ショーン・コネリー)と競演したのもすごいと思うが、とうていこれにはかなわない。賛否両論、時代考証なんてくそくらえ。漢(オトコ)は黙って、刀でピストルと対峙する世界の三船たる貫禄十分の演技にクラクラしてほしい。

 そうそう。クルル曹長の「俺にいわせりゃあ」は、三船敏郎のパクリなのだろうか。知っている方がいたら、是非ともご一報ください。

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自尊心を育てよう

 この手の書籍は十分に出版されているし、「自尊心の育て方」で検索すれば、星の数ほどヒットします。自尊心を育てるためには、親がその子供の存在を唯一無二であると認め、その存在がすばらしいものであると伝え続ける必要があります。そして、親の行動が、彼らの成長を妨げてはなりません。

 子供と自分は違う人間であることを意識しよう。
 子供がなにか失敗したら、なぜ失敗したのかを一緒に考えてあげよう。
 子供の「なぜ?」にちゃんと答えてあげよう。
 子供の手本になるように、まず自分からやって見せよう。
 子供から失敗の機会を取り上げないようにしよう。
 子供のプライバシを尊重しよう。

 アダルトチルドレン(以下、ACという)という人たちが居ます。オトナになりきれないコドモではありません。実はACという言葉はあまり認知されていません。興味のある方は、ウィキペディア等で調べてください。ACは世代を超えて伝染します。加藤智大容疑者が典型的なACであることは間違いありません。自分の子供に限って!というのは親であれば当然の感覚ですが、加藤容疑者の両親もそう考えていたと思います。今、あなたの前に居る子供のことを、あなたはどれだけ知っていますか?暴走事件が起ってからでは遅いのです。子供の自尊心がどのくらいのものであるか、自ら子供と対面して確認しましょう。

 もしあなたがACであった場合、それをお子さんに告げ、一緒に考えましょう。自分がACであることを自覚するといろいろな悩みが解決する場合があります。

 社会の闇や派遣社員の待遇よりも、治外法権の家庭内で繰り広げられる精神的・肉体的暴力の方が明らかに深刻なのです。第二の加藤容疑者を育ててはならないのです。

今日のブログは、自身の戒めのために。

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犯罪防止用サイト監視システムの提案

 ここ数日、事件の分析ばかりしていたので、今日はちょっと前向きに、こういった事件の防止方法を提案したいと思う。この提案は、暴走事件だけではなく、自殺まで防止でき、通報の度合いを減らし、かつ通報の精度を上げることが出来るという一石四鳥のすばらしいシステムである。ナイフの販売を禁止するとか派遣社員の職場状況を改善するよりも圧倒的低コストで、絶大なる効果が得られるはずだ。文部科学省か総務省に予算を申請し、まず日本で実験導入し、効果があったら是非とも世界各国へ広めて欲しい。なお、版権については主張しないので、作成者のものとする。腕に自信のある方や対策室の責任者の方は前向きに検討して、是非とも実現して欲しい。

 さて、やることは簡単である。掲示板サイト、携帯サイトに対して黙々と独りで書き込むユーザを検出し、書き込みに特別なキーワードで監視をかけ、危険を関知した場合に自動会話エンジンでもって、話しかけてやればよい。

キーワードは、「自殺したい」「殺したい」「彼女ができない」「自分はダメだ」等、自身に対して向いている攻撃性を表す言葉ならなんでもいい。自尊心に関する専門家に相談すれば教えてくれるはずだ。自動会話エンジンとは、大昔に流行った人工無能、いわゆるchatterbotである。NECのPaPeRoなんかを応用すると自然な会話になって良いのではないかと思う。

「全部がいやになった。死にたい。」とくれば「なにがいやなの?なんで死にたいの?」と即座に応答してやればいい。これは相手をしてやることで孤立感がなくなり、気持ちを安定させる効果がある。また、会話数の閾値を決めておきそれを超えるまでの間(BOTに相手させている間)に専門家の判断や通報のための時間を稼ぐことができる。閾値は稼働状況に応じて調整が必要であるが、閾値内であれば無視しても良いので、アラームと監視者の削減につながる。また、監視者が人間ではないためプライバシ保護の役目を果たす。

「つきあってくれてありがとう」とくれば「オレ(あたし)でよければ話聞くよ?電話番号、教えて。」と異性を装って応答してやればいい。閾値を超える前に、電話番号など聞き出し、相談窓口(ヘルプデスク)へ誘導することも忘れてはならない。

「父親」「母親」「両親」等の家族、肉親に関わるキーワードが出たら、心を開き始めた証である。電話番号を提示し、相談窓口の担当者に引き継ぎを行う。

閾値を大幅に超えており「これから実行します」とくれば即刻、緊急アラームを発報し、場所を割り出し、警察官が保護するべきである。

彼らが常に依存する相手を探しているところに目をつけた、コロンブスの卵的なアイディアである。

 そうそう、相談窓口(ヘルプデスク)であるが、メイド喫茶がいいだろう。彼らの行動は、以下のロジックによって極端に制限されている。

 失敗すると非難される→非難されることを異常恐れる→絶対に失敗できない

彼らはこのロジックのため、異性との付き合いが怖くてたまらない。ただし例外がある。メイド喫茶である。彼らの間でメイドが流行るのは、お客(主人)に対する意識に明確に指向性があること、主従関係があること、また一方的なサービスであるからである。彼女たちは仕事なので、よっぽどのことがない限り彼らを否定しないし、彼女たちと対面する場面では自ら発信する必要がないので、彼女たちに劣等感を感じることがない。すべてに安心感があるのである。彼らにとって、メイドは2D世界と同等なのである。もちろん、彼らも彼女が欲しい。ただし、パートナーとしての彼女ではなく、メイドとしての彼女である。彼らは、一方的で安心感のあるサービスという一面に依存しており、決して対等な人として彼女たちと接しているわけではないのである。

 余談だが、メイド喫茶へいけばわかると思うが、その手の欲求がない人の場合、何がいいのかさっぱりわからない。形態は違うが、キャバクラも同様かもしれない。金を払っているのに、なぜ相手を喜ばせるような話をしなければならないのだ、と思うのである。もちろんこれは価値観の差であるが、そんな時間のために金を払うくらいならちょっとした小料理店で普段頼ま(め)ないような酒を呑みたい!と思う人には全く理解できない世界であり、そういう人間は放って置いてもなんの害もないと見なすことが出来る。

 先の犯罪防止システムであるが、完成または導入したあかつきには是非とも連絡をください。

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秋葉原無差別殺傷事件(3)

 ここ数日、「秋葉原無差別殺傷事件」でいろいろなブログを検索しているが、加藤容疑者(以下、彼という)への「自分勝手」「甘えている」というキーワードが目立つ。彼を擁護する訳ではないが「彼はそうすることしかできない」という、彼の両親によって作り上げられた、あまりにも哀れな境遇は理解されないようである。要するに「自分勝手なことをいいやがって」という彼への怒りはある意味正しいが、ある意味、的外れなのである。

 彼の思考は自己中心的ではあるが、頭の中には「世界は自分のために回っている」という感覚はない。彼にはまず「自分だけが良ければいい」という意識がないのである。自尊心の欠如から、もともと彼には主体性がないのだから当然といえる。

「自分だけ」には、明らかに自分と比較する他者がいる。しかしながら、彼の視野の中に、自分以外の他者は存在しない。「自分だけ」には、明らかに自分がこうしたい!という意識がある。しかしながら、前述の理由により彼には主体性がないのである。

 通常、比較する他者がおらず、かつ自尊心が欠落している場合、すべての元凶が自分自身にあるように感じる。自己を嫌悪し、その絶望感から自己を抹消しようとする行為が自傷や自殺である。よく山の中で狭い車中で男女が寄り集まって自殺する輩がいるが、彼らは「誰もいない真っ暗な山の中」で「狭い車内でくっつきあって」などという、一生のうちに何度あるかわからないうらやましい状況なのに、パンツを脱いで気持ちイイことではなく、練炭を焚いて自殺してしまうのである。やれやれマッタク、もっと違うことをやれ!と思うが、これは彼らが他人などまったく見ていないという証拠である。

「甘えている」とは、自分で何とかせず他者にやってもらうことだとすると、彼にはやってもらう他者が存在しない。「甘えている」とは、努力をせず他者に依存することだとすると、彼には依存する他者が存在しない。

 努力とは、自己の鍛錬である。自己を鍛錬するのは上昇志向の現れである。これは自己をより良くしようという気持ちである。しかしながら、彼の自己は、彼の中では排泄物以下の評価である。自尊心のなさから自己肯定感が欠如しているのである。これでは努力のしようがない。

 余談だが、自尊心の欠如は、依存症を伴うのが一般的である。たばこ、薬物、SEX、恋愛、収集等々。駅でたばこを吸っている人をよく観察してみればわかるが、たばこの、荒っぽい・男らしいという作られたイメージと違って、意外におとなしそうな人が多いことに気がつくはずだ。そして彼が選んだ依存は携帯サイトである。この手の事件が起るたびにこの手のメディアがやり玉に挙がるが、依存することに問題があって、その対象には何も問題はないのである。

もし、彼の掲示板への書き込みに「人殺ししたいなんて書き込むのはやめろよ」と誰かが書き込んでいたらどうなっていたのだろう。もしかするともう少し違う展開になっていたのだろうか。いまさらだが、残念に思う。

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秋葉原無差別殺傷事件(2)

テレビを見ていて憂鬱になった。

 加藤容疑者(以下、彼という)を擁護するつもりはないが、マスコミが怪しい(いけない)方向へ舵を切り始めた。格差社会の闇が彼の暴走を引き起こしたという、何の根拠もない理論である。派遣社員の苦悩が事の発端であるならば、世の中の派遣社員はほぼすべてが犯罪者予備軍となる。かの高名なニューズキャスターは、今日の午後、ブログで情報を収集したのだろう。ネタがないのであれば、派遣会社の営業でも呼んできて話をさせた方がよっぽどマシである。卑劣きわまりない、甘えの果て、これらのコメントは彼の意識のあり方からすれば該当しない。

 派遣先の会社で、彼は決して非人間的に扱われていたわけではない。非人間的に扱われたと彼が感じ、彼の掲示板の書き込みを真に受けてマスコミがそう喧伝しているだけなのである。彼は派遣社員をさげすんでいる。派遣であるが故に、辞めることにも躊躇がない。こんな感じではないかと推察する。

 自分は最低の人間である→自分は派遣社員である→派遣社員は最低の人間である

 しかし、彼の就業態度は至極まじめなはずである。彼の根本は、基本的にまじめで実直だからだ。何度も職を変えるのは、他人とのコミュニケーションに問題があるからである。また、彼は単純作業は優秀にこなすが、自ら考えて実施する応用力に乏しいため、仕事に限界がある。 作業自体も、達成感があるうちは楽しげに仕事しているが、そう長くは続かない。彼は対人関係で自分の演技にほころびが出始めると、そこから逃げ出そうとする。彼の自分自身に対する評価は、常人と比較して猛烈に低い。失敗したり、少しでも怒られたりしたら自責の念で大変なことになる。親に存在を否定されて育てられているからである。自らを排泄物以下であると「徹底的に自身をさげすんでいる」のである。自尊心がかけらもないのだから、これは当然の感覚である。自虐の念に容赦はないため、いったん落ち込むと際限がない。

 誰か止めてほしかったという彼の言葉は、彼の数少ない本心である。決して甘えからくるものではない。彼の一連の行動は、決められたレール(自ら決めた予定)の上を暴走する自分ではない自分によって実行されている。自分の意志では止められなかったのである。ブレーキのない車に縛り付けられ、崖に向かって進んでいる状況をイメージすれば良い。あなたは自分でどうにかできますか?誰かに止めて欲しいと願うはずである。

 これらの分析は彼の殺人を擁護するものではないが、この手の事件に共通する若者の心の闇についての警鐘である。10~20歳代の若者に自傷行為が増えていると聞く。これは若者の自尊心が乏しいことを表している。

 自尊心を育てるためには、親がその子供の存在を唯一無二であると認め、その存在がすばらしいものであると伝え続ける必要がある。子育て中であるならば、自らの子育てを見直すチャンスである。もう二度とこのような事件を起こさせてはならない。まだ間に合うはずである。

 余談だが、角川版「犬神家の一族」で、犯人の松子が「私にはこの道しかなかったの」と懺悔するシーンがある。 自分でない誰かが殺人をする、それは父の怨念であるというのだが、「怨念=自分ではない自分」ともとることができる。まあ、これは少し深読みしすぎか。

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秋葉原無差別殺傷事件

全くまとまっていないのだがとりあえず公開。

 学歴のみで飯が食える訳もないが、学歴は出世や高収入のために必要なものであることも確かである。少しの違いしかなければ、地方の名もない大学出身者と東大卒を比較して、どっちを先に昇格させるかといえば、いわずもがなである。その中に、勉強ができても、生きるための知識を持ち合わせていない輩がいることは、まちがいないのだが。

さて、テレビは「秋葉原無差別殺傷事件」一色である。

 犯人(以下、彼という)の出身地は、皮肉なことに、かの文豪、太宰治を輩出した青森県である。時代が違うとはいえ、なんらかの土地柄、因縁があるように思えてならない。

 先日の茨城の事件も同様だが、明るく挨拶もするし、いい子だったのになぜ?というコメントが必ず出る。これは本人がよい子を演技して周りの人間をだましているのだから当然である。「そうは見えませんでした。見事に彼にだまされていたようです」というコメントはまだみたことがない。

 卒業した高校の教師がテレビに出ていた。「昔はもっと目がきらきらしていた」とコメントしている。残念だが、先生。あなたの目は節穴(フシアナ)である。まあ、世間とか大人の付き合いを知らない教職員である。演技していた彼が一枚上手だったというわけだ。だいたい青少年の見本となるべき教育者たるもの、そんな間抜けなコメントをするためにテレビに出ないでほしいものだ。

高校までの彼の行動は、すべて以下に基づいて実行されていたと思われる。

 自分は、みんなから好かれなければならない。
 自分は、成績優秀でなくてはならない。
 自分は、スポーツ万能でなければならない。
 自分は、人と上手につきあっていかねばならない。

 彼は、よい子でなければ愛されない、成績さえ良ければ受け入れてもらえるという条件付きの愛情で育てられている。これでは愛する息子ではなく、親が自分のいいようにコントロールできる100点取得マシンでしかない。しつけと称する身体的虐待もあったときく。なによりも親のコンプレックスか欲求不満を満たすための道具だったのである。

 彼は自分がやりたかったことを徹底的に押し殺し「意に染まない行動は恫喝と否定で排除する、子供の人格を無視する偏った感覚の持ち主である親」の顔色をうかがいながら生きていたはずである。よって、彼の自尊心は徹底的に排除されている。自尊心とは、たとえば自分が失敗しても「しょうがないなあ、次はうまくやれよ」と自分を許してやる気持ちである。自尊心がないと、自身や他人の失敗を許すことが出来ない(完全主義)。実行する前から失敗を悲観し、あきらめてしまう。失敗を目前に感じると、そこから逃げ出す。この世の終わりがくるくらいの勢いで、自分を否定されることを異常なくらい恐れる。断られて傷つくのがいやで告白できないとか、振られそうになったら傷つくのがいやでこちらから振ったりするのがこれにあたる。これらの行動は自分が傷つきたくないということに端を発する。自尊心とは、自分が傷つくのを防げる盾の役目もある。だから、自身を否定されると、心に傷が付く恐怖からパニックになり、追い詰められて「突然キレる」のである。

 また彼は、幼少の頃から親に徹底的に管理・監視され、自己を否定されているので、過去を思い出したくないか、思い出せない。ちなみに、母親により父親に対する排除感と不潔感を、愚痴を聞かせる方法によって徹底的にすり込まれると、警察官の父親を斧でたたき殺す娘ができる。これは母親の代わりに娘が実行した殺人である。正しくは、母親が娘を使って父親の抹消を行ってしまった殺人だろう。本筋とは違うので、この考察はまたいずれ。

 彼には、自分自身を抹消したいという感覚もある。人によっては自傷行為や自殺未遂という形で現れる。すべて自分が悪いのだと自分を責める。否定され続けて育ち、自尊心という盾がないのだから、この感覚は当然である。うまくいかなければ自分が悪い。人とトラブルになると自分が悪い。あげくのはてに、天気が悪いのも自分が悪いと思うようになる。自らを責める自虐の念に容赦はない。

 しかしながら「すべてが俺の邪魔をする」とはよく言ったものだ。彼の場合、今までの親の仕打ち(彼の責任ではない)を自分自身の外にすべて転嫁しているのである。

 彼は、親のいいなりであれば愛されるがそうでなければ捨てられるという「よい子でなければ愛されない」感覚を徹底的にすり込まれている。条件付きの愛情というタイトロープを、人として生きるために必要な知識も教わらず、自尊心も育たないまま渡ってきたのである。その元凶である彼の親は、そんなことをみじんも感じたことがないはずだ。本人たちは、子供のためだと思っているので余計に始末が悪い。自分の言うとおりにしていれば幸せになれると思い込んでいるし、それを逃れようとする彼の徹底的なよい子の演技と現実逃避にすっかりだまされていたはずだ。何かおかしい、と感じた時には手遅れだったのである。

 高校になって成績が中の下となってしまったのは、彼が親に対してキレることが増えたからではないか。親も怖くなって注意できなくなり、彼は勉強に対するモチベーション(ほめられたい、愛されたい)が維持できず、全く勉強しなくなったことは容易に想像できる。また、自分自身の「愛されたい感」を満たすために、アニメやゲームの世界へ逃避したのではないか。ゲームキャラに人格はなく、彼を否定したりしないからだ。

 親が、彼を怪物にしてしまったのである。7人殺傷の彼の責任は少なくとも半分であり、あとの半分は彼の親が殺したようなものだ。彼の両親は、亡くなった7人の親族に手をついて謝らなければならない。※1

 彼が掲示板に書き込んだとされる言葉は、まったく同じではないが、太宰治の名著「人間失格」にある。「いい人を演じるのは簡単だ。みんな簡単にだまされる」

 主人公が自ら「人間の生活というものが見当つかないのです」と告白するように、彼は日常に関して愚鈍である。主人公が自ら「隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです」と告白するように、彼は社会性に疎いのである。

 自暴自棄というコメントもよく見かける。この言葉の意味は正しいかもしれないが、彼にはあてはまらない。彼には冷静な計画性と明確な殺意がある。冷静に殺人を実行するためには、離人感(自分が自分でないような感覚)がなければならない。よくある離人感はその不快感により自殺や自傷行為(内向き)につながるが、彼の場合はすべて自分自身の外へ転嫁(外向き)しているため、目の前の人を殺傷するに至ったのではないか。おそらく自分とは別の自分が、肉体から離れた場所にいてトラックを運転したり、目の前に現れた人(障害物)にナイフを振り回す感覚ではなかったか。トラックで人をはねる、人をナイフで刺すという行動が、通常の人間であれば想像すらしたくない恐ろしく、実行できない行為であることは明白だ。離人感といえば、一連のバラバラ殺人も同様だと思われる。そうでなければ、想像するのもおぞましい行為を、ああも見事に完遂できるはずがない。

 捜査員に生い立ちについて涙を浮かべて話したりしているというが、その涙は、彼が起こした事件とはまったく関係がない。彼の中には「今まで自分がいかにひどい仕打ちを受けているか」という徹底的な自己中心感覚しかないからである。彼は犠牲者に対して申し訳なかったと思えないはずだ。自尊心があってこそ人の痛みがわかるのである。また彼は、反省した自分を演技するなどたやすいことであり、すばらしい演技力を持っていることを忘れてはならない。検察も裁判官も、決して見誤ってはならない。しかしながら、彼に殺人嗜好はないので司法判断が難しいのではないかと推察する。

 職場への嫌悪感が事件の背景にあったとみて調べているとのことだが、それが直接の動機につながるとは思えない。勤務態度がいいのは当たり前である。彼の根本(性根)はいたってまじめで実直である。また、仕事がうまくいかない(と思い込んでいる)のは、自身に課する目標が異常に高い、もしくは他人とのコミュニケーションに問題があったかのどちらかだ。会社からリストラ話が出た段階で、彼は「オレは用のない人間である」と自虐に走っているが、これは会社から否定されたショックである。このことがトリガになったのかもしれないが、もちろん会社や職場内部の責任は、みじんもない。

 また、ないとされた作業着も実はそこにあったはずである。更衣室での一件は、彼の単なる見落としだったのではないかと思う。彼は、何らかの原因(たとえば洗濯に出すため等)でいつもと違う場所においてしまったものは、そこへ置いたことすら記憶から削除され、見つけられない場合がある。

 彼は自分を含めたすべてに敵意と不満を持っているはずだ。しかし実のところ、彼の殺意には明確な理由がないのではないかと思う。仕事の不満は、尋問している警察官の誘導ではないのか?

 彼の行動は、自分が人とは違うということを誇示するためなのだろうか?恥ずかしながら、実はこの辺がよくわからない。先日ニュースで、記録破りの殺人のためというコメントがあった。なるほど、人とは違うことを実行することにより、「俺はこんなことができるんだ!」という押し込められた自分を解放したのかもしれない。正直な話、キレて暴力的になる事例に基づいた考察を有識者に聞いてみたい。

 驚いたのが、「キレる子供」でgoogleを検索すると「食育」というキーワードがくっついて出てくる。食べ物でキレないようになるという、ちょっと間違えると宗教やダイエット食品詐欺になりかねないような話だが、そんなもんでキレない子供が出来るならば、文部科学省の「学校給食衛生管理の基準」に載っていなければならない。まったく、お気楽、平和な方々であると思う反面、お金儲けは否定しないので、くれぐれも詐欺にならないよう、商売にいそしんでほしい。

  亡くなった7人の方々のご冥福をお祈りします。

※1 2008/06/11現在 10日に両親の謝罪があったようです。

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