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2007年9月

これでいいのかNHK!?

 NHKは嫌いではない。民放なら、絶対にチョイスしないネタを取り上げ、番組にしてくれるからである。NHKスペシャルの「宇宙」や「生物」は、特によい。最新(であろう)ネタをちりばめ、高価なCGを駆使し、科学番組とはこうあるべきだ!と王道をゆく。視聴率と採算の問題で、民放ではこうはいかないだろう。ただし、その分野の専門家がみた場合、私の感想とはほど遠く、辛い批評が出るかもしれない。しかしまあ、そう目くじらを立てることもあるまい。テレビ番組など、そんなものだ。

 日本放送協会は、公共放送を運営する特殊法人である。国営の放送機関ではない。かの忌まわしき受信料の徴収によって運営されている。放送法により、広告収入が禁止されているためだそうだ。受信料については、ちなみに我が家は年払いで払っている。「いないいないばあ」や「ピタゴラスイッチ」をみるためには致し方ない。そういえば、テレビはないけれどワンセグ携帯を持っている人は、受信料を支払わなくてはいけないのだろうか?

 NHKの不祥事は絶えないが(絶対になくなりはしない)、最近気になることがある。ドキュメンタリで特に思うのだが、どうも考察が薄っぺらいような気がする。要するに、なにを本題にしているのか?間違った解釈で作っていないか?というチェックがなされていないように見える。演出に明らかに推敲不足の感がある。2007年9月17日(月)にオンエアされた、NHKスペシャルにっぽん家族の肖像4「明日へのいのち~12年目の震災遺児」を見て、いいようのない不安を感じた。
《NHKのHPから抜粋》
阪神淡路大震災から12年。親を亡くした子どもたちは、成人し今、新たな家族を築く。遺児同士で結婚した夫婦が心の傷を乗り越え、新たな命を授かる感動のドキュメント。
親の愛を震災によって突然断ち切られ、そのことで親への思いを募らせてきた子どもたち。自分たちが家庭を築くとき、亡き親の思いをどのように受け止めていくのか。
出典<http://www.nhk.or.jp/special/onair/070917.html>

 震災遺児の女性が登場し、同じ遺児の男性と結婚し、子供を産み母親になるまでの経緯が描かれている番組だ。震災によって突然親がいなくなるという絶望感は、経験したものでないとわからないだろう。実際、私もわからない。だから、あの番組をみたら、震災によってそうなってしまった、かわいそうな人なんだ。でもがんばってるんだな、という気持ちになると思われる。しかし、私はそう思えなかった。彼女は震災によって心を閉ざしてしまったのかもしれないが、決して震災だけが原因ではない心の闇をもっているのである。その闇とは、なにか。

 親(もしくは、その近縁)による虐待である。

 痛みに対して異常なくらい恐怖する。昔の写真に記憶がない。自尊心が感じられない。夫に子供を堕ろすことを決めてほしい旨のメールを送りつけて不安にさせ、気を引こうとする。家族感の喪失。典型的なアダルトチルドレン(AC)※である。後半、産み終えた後の彼女の叫びは(演出が意図しているであろう)震災遺児としての彼女自身の叫びではなく、彼女がパニックに陥った時に出現するインナーチャイルドの叫びなのである。ちょいと知識がある人ならすぐに気がつく彼女の特質を、震災遺児というオブラートで包んで、白日の下にさらしているのだ。その無神経さにゾッとした。いったいなにが感動だというのだろうか。震災遺児を不幸に見せるための悪質なキャスティングと演出。これははっきり言って震災遺児のドキュメンタリなどではない。天下のNHKさんよ、本当にこれでいいのか?

 今し方ニュースで、父親をオノでメッタ切りにした16歳少女の事件を聞いた。彼女もまた、ACである。このヨノナカ、ACでないひとを探す方が難しいのではないか。時として家庭は、外界から完全に隔離された、治外法権の牢獄となる。その牢獄には「親」という暴君が居座っている。暴君に絶対服従しなくてはならないかわいそうな子供たちの叫びは誰にも聞こえない。滝川クリステルはきれいだなあ、なんて悠長なことをいっている場合ではない。私もそんな親にならないように、息子たちを愛情いっぱいに育てなければならない。今一度、パンツのゴムを引き締める、秋の夜長であった。

※アダルトチルドレン、インナーチャイルドは、wiki等で調べてほしい。

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みえないもの

 もう12年も前になるが、一念発起してマンションを購入した折に、記念に残るものが欲しくてクラシックギターを購入した。よくよく考えれば、金銭感覚が麻痺していたのだろう。今から考えると、よくもまあこんなものを買ったものだと呆然とする。どういう素性のものか、情報の少なさもあって、未だによく調べたことがない。ただし、音は抜群にいい。表は松、裏・側はインディアンローズウッド、こんな見事な材はもうどこにも残っていないと思わせるくらい美しい柾目である(最近の裏板はココボロが多いと聞く)。すでにワシントン条約により規制されているハカランダ(Brazilian Rosewood)ではないが、音量も申し分なく、ボディのサイズに似合わない芯の通ったクリアな音が身上だ。また、外見がシンプルかつ小顔、胴のバランスが絶妙で、なかなかどうして、見た者の視線を惹きつけるナイスバディなのである。

 私の弟が所持するギターは見事な柾目のハカランダである。うっすらと緑色がかった黒い縞が高級ギターであることを誇示している※。私はハカランダフェチではないが、見ているとなかなか美しいもので、ほれぼれする。ハカランダには独特の芳香がある。それがバラに似ているのでローズウッドと呼ばれる。ブラジル原産のマメ科の巨木だ。乾くと、堅く粘りがあり、非常に重硬な材となる。インディアンローズウッドは近種の木であるが、ハカランダとは違った香りで間違うことはない。つい先日、帰省した折に弟のギターを借りたのだが、ふと鼻の奥に懐かしさを感じた。昔はどこの楽器屋でもこの木の香りがしたものだ。お金もないのに楽器屋へ通って、ショウウィンドウ越しにため息をついていた頃がなにやら懐かしく、照れくさく思い出される。

 人は内面がすべてで、外見の優劣など問題にはならない、と教えられてきた。今にして思えば、自信がなく後ろへ下がり気味だった私を叱咤激励する言葉だったと思う。しかし、それは少々語弊があり、やっぱり外見に努力をしない者は、どんな偉い人だって人として良く見えない。きれいなシャツを着る、靴はちゃんと磨く、サイズのあっていないスーツをだらしなく着ない、無精ひげはちゃんと剃る等々の外的要因は基本だが、内面からにじみ出る雰囲気がその人の見栄えすら変えてしまう、ということに気がついている人は少ない。高級品というのは、値段だけではなく、高級である理由に比例した、なにか気品(質感)のようなものをまとっているのである。

 私の自慢の一品には、少々安物の糸巻がついている。いずれはSLOANE(スローン)というメーカの糸巻で飾ってやろうと考えてはいるのだが、いかんせん、しがないサラリーマンの台所状況は悲しい。メモリの増設やCPUの交換と違い、その実利たるや駅のトイレットペーパーほどに薄い。おっと、来月には後輩の結婚式があるんだっけ。ご依頼通り、お祝いの唄を一曲歌わせていただくので、披露宴はできれば私だけにして、うちの女房は特別ご招待にするか、呼ばないで欲しいのだが…。

※希少価値が高いからといって音がいいわけではないのが楽器のおもしろいところである。私のギターと彼のギターの間には値段相応の「音質」という目に見えない格差が存在する。ちなみに、ハカランダを使用するギターは、国外へ持ち出す場合には、CITESの証明書を取得する必要があるそうだ。

Photo

Sascha Nowak サッシャ・ノバック、ザーシャ、ノワックいろいろな表記がある。独のギター職人、名工メンヒの弟子である。国内でも取り扱う店はあるが、数が少ない。

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俺がルールだ!?

 IKEA(イケア)という巨大な生活用品倉庫がある。港北店は、平日でも新横浜駅から一時間に2本もシャトルバスが出ているので、ご存じの方も多いと思う。コストコは年会費が必要なので、貧乏性の私には敷居が高いのだが、イケアはふらっと行って、広大な倉庫内をぶらぶらして、格安のホットドッグとソフトクリームを食べて帰ってくるだけで楽しい。うちの家族にはすこぶる評判がよく、予定がない週末にはよく出かけている。

 店内をうちの息子共が走り回るのを、後ろからぶらぶらとついて行くのだが、所々でよく見かける光景がある。子供を叱る親だ。この場合「叱る」という表現は間違っている。親は明らかに怒っていて、子供に怒りをぶつけている。なにをそんなに怒っているのだろうか、つぶさに観察するわけにもいかないが、たいていの場合は、ごくごくつまらないことだ。いつの間にか居なくなったとか、子供のためにあるタッチパネル式のゲームが組み込まれた柱から動かないとか、中には家具を触ったというだけで怒っている不思議なお母さんを見たりする。私は入店前に、息子たち(5歳と2歳半)に入店後の約束事(ルール)を必ず復唱させる。ルールは簡単。「お父さんとお母さんが見えていれば、どこで遊んでいても良い。」だ。2歳半のまだワカランチンな次男はともかくとして、長男はよほどのことがない限り、このルールは破らない。もちろん、ルールを守れない場合もある。しかし、守れないのは、ルールを破ろうとしたからではなく、それを守れる状況になかったことによるものだ。冷やかしとはいえ、魅力的な家具や商品が並んでいるから、私もそれに気を取られ息子たちから目を離す。息子たちだって、空いているゲーム機を見つければ、われ先に!と人混みへと突進する。つまり、親も子供もお互いがルールを忘れた時に「約束を破った」となるわけだ。こうなると通常、親は子供を叱る。否、それこそ怒り心頭だ。お互いのルールなのに、子供たちが悪い!となり、有無を言わさず怒声を浴びせるわけだ。しかし、よく考えると(よく考えなくとも)こんな理不尽なことはないのではないか?

 親と子供の間には、少なからず依存がある。支配関係とも呼べる。子供は親を選べない。怒られないようにするには、唯一無二のその親に迎合するしかない。自分自身がまだ完成していない子供たちは、親の怒りに敏感だ。生きていく上で、必ずその親が必要だからだ。嫌われたりすれば、それこそ行き場がなく、自分独りでは生きていけないと思い込む。支配し、支配されて安定する関係を「共依存」という。いつも怒声ばかりの親の下では、子供の自尊心が育たない。暗い目をして怒られている他の子供たちを見るたびに、自らの襟を正す。よって、息子が居なくなった場合、私は必ず「息子と交わした」ルールを思い出すようにする。「ぼくたちが見えていれば、どんな商品を見ていてもいいよ。」という彼らが私に課すルールだ。私にとって息子たちは、決して奴隷や付属物ではない。いなくなったこと、目を離したことをお互いに反省するようにしている。私とてそうできた親ではないのだから。

 そういえば、イケアの近くには、NEC横浜事業場跡にできた「ららぽーと横浜」があるのだが、女房、息子共ともに、こちらにはとんと興味がない。私といえば、パンや焼き肉やハンバーグやソーセージやチーズの試食にぜひともよって帰りたいのだが。一番の楽しみの酒の試飲は、息子どもが自動車免許証を取得するまで楽しみに取っておくことにする。親も自らを戒める謙虚さを持って愛情豊かに育てれば、成人してもたまには相手をしてくれるようになるだろう。ららぽーとくらい、いつでも連れて行ってくれるわい、とほくそ笑む姿を想像しつつ、今日もハンドルを左へ切るのであった。

※学術用語ではない。詳しいことはWikipedia等で調べてほしい。

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なんてこった!

 PentiumD805というCPUには苦い思い出がある。動作周波数は低いくせにとても熱かった。昨年の夏に依頼で一台、組み立てたのだが、これがなんとも後味の悪い仕事だった。

 一通り組み上げてから、電源を入れ、WindowsXPのインストールを始めた。SP2をあてた直後だったか、いきなりリブートがかかった。そのときは、まあよくあることだ、くらいにしか思っていなかった。それからしばらく何事もなく作業が進んだのだが、なにかを境に、いきなりリブートする回数が増えた。リテールクーラーは最高速でうなりをあげており、CPU温度をBIOSで確認すると50℃を超えている。オーバーヒートを疑ってみるが、応急処置で扇風機をあてて作業しても事象は変わらなかった。いったんバラしてから切り分けをするも、悪い部分がまったくわからない。手持ちの部材をすべて並べ、あらゆる組み合わせを試し、マザーボードを修理に出したり、新しいマザーを購入して交換したりもしたが、いっこうに解決しない。2週間もの間、かかりっきりになった。ノイローゼになったような気分で、おしまいには見るのもいやになった記憶がある。

 停滞が続いていたある日、知らずに電源を入れた女房の一言が解決のきっかけになった。

「落ちたよ?オーバークロックしてるの?」

そんな馬鹿なと、半信半疑でFSBを定格から下げてみると、あれだけ頻繁に起こっていたリブートがぴたりと止んだ。なんてこった!インテルさんよ。定格で動かないCPUなんて、ついぞ聞いたことがない。

 後日、インテルのサポートに連絡して交換を依頼した。インテルからすれば、できの悪い米粒の一つくらいにしか思っていないのだろう、快く(と思うが)交換に応じてくれた。疑う余地がないと思っていたCPUに原因があったとは、灯台もと暗し。それは、それが当たり前だという思いこみが招いた悪夢の3週間だった。一番信用していた女房から、みくだり半を突きつけられる亭主の気持ちがわかるような気がしたのは気のせいかもしれないが、世のお父さん諸君。娘の誕生日などはどうでもいい。結婚記念日と女房の誕生日だけは、ゆめゆめ忘れることなかれ。

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